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『文明の崩壊』は、資源の過大消費、森林破壊から始まる

監事 宗万  忠
株式会社総合企画代表取締役

 私は今、仕事上のお付き合いが嵩じて、東川町のキトウシ森林公園の整備に係わりを持たせていただくようになっています。この公園では今、「ニセウの森づくり」というテーマがスタートしています。
 「ニセウ」というのは、アイヌ語でどんぐりのことを意味します。それは豊かな森の贈り物。生きるために必要な食物であり、アイヌの人たちにとっては雑ぜ煮の料理に使ったり、粉にして団子や和え物に使ったり、子供のおやつであり、胃腸薬でもありました。また病気見舞いやお産祝いとしても使っていたほどシンボル的な木の実でした。
 つまりそれほど大事な「食」資源・シンボルを森によみがえらせようというのです。
 どんぐりといえば、今思い浮かべるのは、エゾリスの大事な食料ということ程度でしょう。しかし、これはこの森にとってとても大切な考え方の転換です。
 今まで人間のレクリエーション施設として木々を伐採し、使いやすいように間引いてきた森林を、今度は森に暮らす動植物のために住みやすい森として再生させようとしているのです。
 小さな森ですが、この森に植樹し、豊かな生環境としてさらに育てることで、私たちの命を育む森として育てるというシンボルを育む試みなのです。

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 地球上には、過去大いに繁栄しながらその後崩壊してしまった文明の遺跡があちこちに残っています。イースター島、南米マヤ、北米アナサジの古代プエブロ人、ノルウェー領グリーンランドなど…。米国の進化生物学者・生物地理学者でノン・フィクション作家のジャレド・ダイアモンド氏は、文明が崩壊した過程を探り、いずれも同じような道筋をたどっていることを自らの著書「文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの」(2005年刊)で解き明かしました。
 なぜ隆盛を極めた社会が、そのまま存続できずに崩壊し滅亡していくのか?
 ジャレド氏は、そこに共通するプロセスパターンを指摘しています。前作『銃・病原菌・鉄』では、地理的条件がその後の文明発展に大きな格差を生んだということを解きました。続いて同書では、文明繁栄による環境負荷が文明崩壊を生み出す、ということをクローズアップしました。
 「環境被害」「気候変動」「近隣の敵対集団」「友好的な取引相手」「環境問題に対する社会の対応」という5つの潜在的要因が文明崩壊のメカニズムを作り出す、と説きます。
 文明崩壊は『社会の繁栄→人口増加→農作物の無理な増産、エネルギー消費量の拡大→環境に過大な負荷→食糧・エネルギー不足→資源を巡る争奪→共同体内部の衝突激化→飢餓・戦争・病気の多発と社会混乱→人口減少→社会崩壊・消滅』というプロセスを辿るというのです。 
 モアイで有名なチリ領イースター島の文明崩壊はなぜ起こったのか?
 その理由はいくつかありますが、中でも森林破壊が大きな原因と指摘されています。
 この島に人間が定住したのは紀元4世紀ごろ。同じポリネシアのマルケサス諸島から渡ってきたのだそうです(紀元3世紀から同9世紀まで諸説あり、はっきりしない)。どこかの時点で文明が始まり、18世紀初めまでに終了してしまいました。
 化石や花粉の研究から、当時のイースター島は、世界でも有数の巨大椰子が生い茂る亜熱帯性雨林の島であったと考えられています。10世紀ごろからモアイの製作が始まり、豊富な森林資源を使ってカヌー製造も盛んになりました。文明の隆盛とともに農耕が拡大して人口増加し、最盛期では1万5千人を超えていたといわれています(6千人から3万人まで諸説あり)。しかしモアイやカヌー製造、農耕の拡大などで森林の伐採が進み、島全体から森が消えてしまった結果、表土が流出し、農地は荒れ果てました。
 木材はモアイを運ぶためばかりでなく、屋根葺き材、道具の材料、布の材料、燃料としても不可欠です。木材がなければ航海用のカヌー製造もできないので、貴重な食料源だったネズミイルカやマグロなどの外洋魚も捕ることができなくなりました。
 その後森林減少(破壊)が原因となって土壌浸食が起こり、動植物の種が減少し、作物の生産高が減り、人々は慢性的な飢餓へと追い込まれて文明崩壊へと繋がったと結論付けています。
 16世紀から17世紀にかけて食料争奪の部族間紛争なども激しくなり、モアイの破壊合戦が起こりました(耳長族が、モアイの製作を行っていた耳短族に無理な要求を行い、それに反発した耳短族との間で モアイ倒し戦争が勃発したと伝承されている)。この時代、人口は激減し、伝承によれば人肉食さえ横行していたとされます。この間に樹高3メートルを超す成木が一本もなくなってしまいました。
 閉鎖された空間に存在した文明が、無計画な開発と環境破壊を続けた結果、資源を消費し尽くして最後にはほぼ消滅した、という歴史の証言は、現代文明の未来へ多くの警鐘を鳴らしているといえます。
 今日のグローバル社会では、1つの社会の争乱は別の社会の災厄となります。個別の文明、個別の社会で発生する文明崩壊へのサイクルは、現在全地球規模で進行しつつあるのです。
 ジャレド氏は、崩壊を免れた社会の事例として、日本の江戸・徳川幕府が行った森林管理統制を紹介しています。乱伐によって荒廃した森林資源を育林政策によって再生し、持続可能な資源利用と森林管理を実現しました。
 ジャレド氏は、文明の勃興、隆盛、滅亡それぞれの過程で「森」という存在がわれわれ人間の文明にもたらす決定的な存在であることを教えてくれます。
 消費と生産のバランスが崩れ、生産が追いつかなくなった。あるいは、生産をしないで消費ばかり続けた結果、島の資源を使い果たし、最後に文明崩壊の引き金を引いた、と結論づけました。今もなお偉大な足跡を残すギリシャ・エーゲ海文明、ローマ文明の衰退もまた、森林の衰退と無縁ではなかったことを解き明かしています。
 かつて、森は生産財として唯一無二の価値を持っていました。一次生産財としてばかりでなく、工業加工原料として二次生産財を生み出すための道具を作り出す源泉であり、武器であり、運搬・輸送手段を生み出すことが出来る価値を提供してくれました。そして森の保水力、土壌保持力、腐葉土は、豊かな食糧再生産を保証していました。
 森を無くするということは、これらすべてを失うことを意味したのです。人間はそれに気付こうとさえしませんでした。
 私たちはこのことから何を学ぶべきでしょうか。自然は無限に私たちに恵みを与えてはくれないのです。自然から得るものは大きく、その力は永遠に続くと思えても、傲慢で過大な一方的消費は、私たちの存在基盤そのものをいつの間にか失わせる結果を招くということなのです。
 それを防いでサスティナブル(持続可能な)社会を維持するためには、生産と消費のバランスが必要です。
 消費をしたら必ず生産する。例えば江戸幕府の森林管理政策のように、サスティナブル社会を維持するためには、計画的消費と生産が必要です。それは、今あるわれわれの社会というパラダイムばかりではなく、今ここに暮らす私自身や家族の近い未来の姿を暗示する、すぐ目の前にある解決すべき問題なのです。
 身近な例でいうなら、例えば野鳥観察会や自然体験などに参加した方は、森に入った時点で消費が始まるのですから、その分は生産して帰るべきです。
 近年グリーンツーリズムやエコツーリズムなど、横文字でかっこいい言葉を聞きます。皆さんのほとんどは、そのような事業に参加しただけで地球環境の保全に貢献した、と勘違いしている方が多いようですが、事業に参加することによって森の資源を消費しているだけであることを忘れているのではないでしょうか。
 サスティナブル社会を実現するためには、消費だけの体験だけではなく、消費と生産のバランスを考えて、100年先の森づくりを今すぐにでも始めることが必要です。
 わずか1本の木でもいい。明日に生きる子供たちが主体となって木を植え、森を育てることを始めようではありませんか。今までのやり方と違ったやりかたで、多くの人たちとともに生産(植樹、人を育成)と消費についてのバランスが大切だということを真剣に考え、伝えていきたいと思っています。

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ジャレド・ダイアモンド氏(カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部生理学教授を経て現在同校地理学教授、作家)
 1937(昭和12)年、米国ボストン生まれ。ハーバード大学で生物学、ケンブリッジ大学で生理学を修める。研究領域は進化生物学、生物地理学、鳥類学、人類生態学へと発展し、前著『銃・病原菌・鉄』(1998年、草思社刊)は、文明がなぜ多様かつ不均衡な発展を遂げたのかを解明して世界的ベストセラー。アメリカ国家科学賞、タイラー賞、コスモス国際賞、ピュリッツァー賞を受賞。

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