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拓銀破綻から10年が経過したが…?

常任理事・釧根支部長 藤田 卓也
藤田印刷株式会社代表取締役社長

 過日1997年(平成9年)11月17日(月)の拓銀破綻から10年を経過したことで、今日までの10年間に至る北海道経済特集や、拓銀のその後の話題が連日組まれた。しかし1987年から拓銀経営破綻までに至る10年間のことについては、あまり省みられることがなかった。
 10年前の週明けのあの11月17日月曜日朝に至る、迷走とその後の大混乱は何だったのかと今も思い出す。道銀、札銀との合併破談からメガバンクへの吸収の話までがことごとく消え、11月15日土曜日東京での取締役会破綻決定と、16日日曜日夕方の本支店現金輸送の動きなどが漏れ出すとともに、一種異様な空気が北海道内を駆け巡ったままあの朝を迎えた。
 そうだ、あの時の総理が橋龍だったことは思い出しても、大蔵大臣が誰だったのかが中々出てこない。やっと、三塚蔵相だったのかと確認する。
 現在、税収50兆円前後の我が国で、5兆9,290億円の貸出金の内、約4割に及ぶ2兆3,433億円が不良債権化しているなんて、今ならどうやればそんな巨額にのぼるのかと当時を振り返り、首をひねる。そういえば、『財界S』や『月刊K』誌上では、毎号のように「カブトD」や「S中村」ほかベンチャー企業群から拓銀インキュベーター路線までが持ち上げられ、ハイメックス(高度医療都市)構想やら札幌テクノパーク構想の見出しが踊り、毎号特集や新年特別号が何度と無く組まれていた。
 1997年11月に至るまでの10年間は、今思えば異常そのものであった。道央圏で起きている不動産バブル状態とは掛け離れてバブルも来なかった辺境の私たちは、あの札幌都心部「旧大蔵ビル」にあった飲食デベロッパー「関西の料理人N」を通して「闇の世界」へ消えた異常融資金などは、一体何のことなのかと考えたことを思い出す。
 11月の拓銀破綻から明けて新年を迎え、北海道民の誰もがもう国には頼れない!北海道民は自力で生き残りを考える時だ!と、心に期すべきものを確認した筈だった。それから10年間でまさか10万人もの人口減少など、当時は誰もが考えなかったが、あの570万人が誓った掛け声はどこに行ってしまったか。
 さて、10年間が経過したが、札幌を中心とする道央圏のどの地下鉄駅周辺やJR各駅周辺では10年前と比べてみても、衰退した地域が殆ど無いのに比べ、地方ではどこもかしこもシャッター通りばかりが目立ち、人口減による学校統廃合までが相次いでいる。
 雇用に至っては、0.5を割る道内各地が、全国平均の1.0超えを恨めしく眺めるばかりである。
 この10年間で、地方との格差拡大は肥大化し、地方からの呻吟ばかりが聞こえて来る。
 果たしてこの10年間で、北海道内に蓄積される資金が、再び北海道内に再投資できる産業構造への転換は為されたであろうか。これからの10年間は、その結果を示す重要な10年間になるだろう。

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