印刷燦燦
野球バカ

常任理事・札幌副支部長 芝田 孝
岩橋印刷株式会社代表取締役社長

 最近の少年犯罪の報道には戦慄さえ覚える。
 自分の子供のころは、確かに学校の勉強はしないで、毎日、野球に明け暮れていた記憶しかない。体力が続くまで躰を動かし、疲れは極限に達するほどの日々であった。今思うと、それが友達とのコミュニケーションであり、仲良しの源泉でもあった。体育会系の自分としては、最近言われている引き篭もりとか自己虫というのは想像ができないことである。
 子供の育つ環境が異なると一概には言えないが、子供なりにいろいろな事情や悩み、精神的苦痛などはかり知れないたくさんの要因が重なって少年犯罪が起きていることは分かる。少子化の中で塾通いと習いごと、ファミコンやテレビゲームの独り遊びなど引き篭もり誘因が多いように思う。もっと外に出て躰を動かすことをすれば、少しは精神的鬱積を晴らすことができように……。
 自分の野球好きは会社に入っても変わらなかった。会社の野球部は勿論のことクラブチームにも所属して国体出場を夢見たこともある。しかし、これはあくまでも夢に終ってしまった。朝野球の前の晩はみんなで会社に米を持ち寄って泊まり込み、当時の社長は岩橋周作さんでしたが、その奥さんに炊き出しをしてもらったこともあった。今となってみればなんとも懐かしい思い出です。
野球好きは何処までも野球好きで、自分で野球が出来なくなると、今度は少年野球のコーチを引き受けた。チームは地元手稲の鉄北小学校の生徒を中心とした「手稲鉄北イーグルス」である。巨人の星が全盛の時代であり、チームは常に60人位の選手がいた。選手に加えてその親たちも熱心であった。
 週3回の朝5時からの朝練アサレン、日曜日は一日いっぱい練習でしたから選手は辛かったと思うが、誰一人として弱音を吐いたり文句を言う子供はいなかった。親も殆ど一緒に参加していた。朝早くから子供たちの野球のため、にぎり飯とお茶を持って出かけて行く。自然とススキノは遠くなり、自分にとっては健康にも懐にも良い時代であった。
 その少年野球は毎年納会が行われたが、料理は全てお母さん方の手料理であった。心のこもったご馳走を子供たちが頬ばりながら、辛かった朝練のこと、勝ってうれしかった試合のことなど笑いとペーソスの話題で騒然となる。親と子、子供同士、親同士のコミュニケーションは否が上にも濃密になる。因みに、今は仕出し料理のようである。これも時代の変遷とみるべきか。はたまた冒頭の恐ろしい世相に結びつけるのは自分が年齢をとったせいだろうか。
 スポーツは強い躰と健全な精神を生み出すと信じている。今年は暑い夏であったが、最も感動したことは甲子園での駒大苫小牧の優勝であった。しかも、チームの要として活躍した糸屋義典捕手は、わが手稲鉄北イーグスの出身だったのです。

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