印刷燦燦
引 き 算
副理事長、経営革新委員長
飯村 俊幸
飯村印刷株式会社代表取締役社長

 小学校で初めて引き算を習ったとき、非常に戸惑った覚えがある。それは、小さい数から大きな数を引くとき隣の位からとりあえず数を借りてきてから引くという、例のあのやり方である。これには子供心にも違和感があった。なんとなく借りるということが好きでなかったせいなのかも知れない。
 なぜこんなことを書くかというと、今でも引き算は違う意味で難しいし、エネルギーも要ると思うからだ。この年齢まで、人生すべて足し算思考できたような気がする。というよりも日本全体が終戦から今までそうであったし、その時代の大きなうねりの中で生きてきたから疑問も感じずにきた。何となく増えることは良く、減ることはあまり良くないというイメージもあった。
 衣食住その他ことごとく貧しかった戦後から我々は物質的に豊かな生活を目指してきた。エコノミックアニマルなどと蔑みを受けながらも必死に努力を重ね、今では世界有数の経済大国になった。紛れもなく足し算思考である。それ自体は誇るべきことだと思うし良しとしよう。結果、いかに昨今不況とはいえ、身の回りには物が異常といえるほどまでに溢れかえり、貧困で栄養失調になるなどということもなくなった。幸せなことである。にもかかわらず、まだやれブランド物だの何だのとその欲望はとどまるところを知らない。恐ろしいことである。衣食足りたら次に何をすべきかを考えなくてはならないのに、未だにあれが食いたい、これが欲しい、もっと幸せになりたいでは余りに情けないではないか。これが日本人の知性の限界なのかと思うと一抹の寂寥感さえ覚える。我々はいつから節操というものを見失ってしまったのだろうか。
 インターネットやケータイに代表される情報社会にも疑問を禁じ得ない。情報乞食のように夜を日に情報を漁っている諸君を見るにつけ、君達は生きていく上でそんなに大量の情報が必要なのか、それとも情報の海に常に身を置いていないと不安感に苛まれるのかと問うてみたい。おまけに余計なことながら、そんな暇があったら得た知識を世のため人のために生かす知恵でももっと磨いたらと憎まれ口のひとつも言ってみたくなるというものではないか。
 この辺で長い間に澱のように溜まった物や情報、色々なしがらみをすっきり引き算で整理をしてみたいという思いが最近とみに強い。自分にとって本当に必要なものだけを残して。そして人生の基本理念に触れられるような気もするのだ。
 最近目をひかれた雑誌の新聞広告の見出しにこんなのがあった。
 『モノが少ないから快適!今度こそ始める簡潔生活。あると便利だと思うモノは絶対買わない』
 何という見識と感心することしきりであったが、因みにこれは老人向けの健康雑誌の見出しである。ということは自分も立派にその域に達してしまったということなのか。鳴呼。