印刷燦燦
我が良き友よ
副理事長、組織・情報委員長
岡部 康彦
(北陽ビジネスフォーム株式会社代表取締役社長)

 小・中・高校と、いつも同じクラスだった友人がいる。
 母親達も近所で親しくしていたせいか、小さい頃から何時も一緒だった。
 ただ、大学は、彼は北海道大学へ私は東京の大学へと離れ離れになった。
 中学時代までは学業において私のほうが間違いなく上位(?)だったが、彼はその後ドンドン頭角を表してきた。
 こんなエピソードを未だにはっきり覚えている。英語の先生から「120問の中から20問を出題する」との発表があった。テスト前夜「おい、ヤマをかけてくれ」と彼に電話した。試験当日問題用紙を目にしてびっくりした。彼の言ったヤマがほとんど出題されていたのである。お蔭で英語は優秀(?)な成績だった。また、選択科目で「書道」があった。彼は真面目に一生懸命毛筆を動かしていた。だが自分が満足した「書」しか提出しないのである。私は彼が提出しない「書」を失敬してセッセと提出したのだった。「通知表」を見たとき彼と同じ5段階の4であった。楽しい高校時代の思い出である。
 その彼は、大学卒業後、得意の語学力を生かし大手の旅行代理店に入社した。
 5ヵ国語を駆使するすばらしいセールスマンとして世界狭しと大活躍、出世もトントン拍子であった。よくススキノで一緒に飲み歩いたものである。
 そんな彼が2001年1月独立したのである。56歳の新たな船出である。「高校時代あれだけ面倒を見たんだ!! 監査役を引き受けてくれ」となった。
 そして、6月、彼から電話があった。「“異業種交流会”を発足しようと思うので幹事を引き受けてくれや」との事である。何度も打ち合わせを行い某ホテルにて発会式が挙行された。
 当日、彼の人脈の広さに驚かされた。医者、弁護士、公務員、道内有名企業の代表者、そしてアメリカ人、韓国人、フィリピン人等々国際色も豊かに50余名の出席があった。社会人になって30余年、素晴らしい人間関係を彼は築き上げていた。その席上、「他の交流会にない、面白くそして自由に語り合える会にしたい」と熱く語る彼の姿を見ているうち、創業時あの燃えていた自分の姿が走馬灯のように脳裏をかすめていった。
 そこには「そうだ、今が青春なんだ!初志貫徹を忘れちゃだめだ!! 」という思いと同時に、我が良き友に「素晴らしい感動をありがとう」と心の中で叫んでいる自分がいた。 

目次へ戻る