印刷燦燦
「トップ語より」

副理事長・マーケティング委員長・十勝支部長
角  鎮夫
東洋印刷株式会社代表取締役社長

 情報について考えさせられることがあった。
 先日、札幌駅で若干時間があったのでKIOSKを覗いたら、瞬間、『甘栗むいちゃいました』というネーミングの商品が私の目に飛び込んできた。
 「栗の剥き身か! 商品の特徴、サービス意図が明確で、なんと解りやすい情報であることか。」
 小気味がいいほどの商品情報の明確さに乗せられて、駄洒落ながら思わず買っちゃいました。ついでにビールも買っちゃいました…。
 閑話休題。情報伝達の主役を担ってきた新聞や出版物等の印刷物は、情報提供者が情報価値を取捨選択し編集したうえで情報提供がなされている。
 しかし、ITの申し子であるインターネットはどうであろうか。その情報量は爆発的に増えており、そこから得る情報も少なくない。ハードウェアやネットワークの能力が大幅に向上し、多くの情報提供者による膨大な情報にアクセスできるからであろう。
 反面、インターネットには発信者の偏った価値観により情報提供されたり、内容の重みづけがされていないものが多い。また、新しいものも古ぼけたものも混在しているのも事実であろう。
 インターネットから活用できる情報は、20%程度ではないだろうか。となると、80%は不必要なゴミのようなものである。年末の大掃除の時に要るものと要らないものを分け、要らないものは、どんどん捨てていくと同じように勇気ある取捨選択能力が求められるというわけである。オーバーな表現かもしれないが、私にとっては、しょっちゅうインターネットという仕組みの中で情報という名のゴミの大掃除をしているような気がして、何ともわずらわしい限りである。
 情報が大切なものであることは万人が認めるところである。しかし、インターネットはあまりにも玉石混淆の情報が氾濫しており、これが情報社会を表徴する姿かといえば、疑問符をつけざるを得ない。
 歴史に学ぶ、という言葉があるが、これと同じように情報から何かを学ぶ、つまり少なくともリアルタイムに、かつ明確に、それぞれが目指しているところの目的や目標を達成したり判断したりする糧としての役割りこそが情報の情報たる所以であり、情報社会の本質ではないだろうか。そのためにも、わずらわしい情報の大掃除だけは避けたいものだと思うのは、はたして私だけであろうか。
 たとえになるかどうか判らないが、件の『甘栗むいちゃいました』という商品を手にして、情報のあり方のヒントを得たように思う。