印刷燦燦
桃太郎の生涯

常任理事・南空知支部長
小川 孝成
株式会社組合印刷代表取締役社長

とは云っても、日本昔話のことではない。
 我が家で、19年と数ヵ月共に暮らした猫の話しである。
 昭和58年5月、ゴールデンウィークに札幌のペット・ペット・ショーで、テレビのCMで見た生後三ヵ月のアメリカン・ショートへアーの雌を一匹買ってきた。そもそもの理由は、子どもたちも育ち、独立をしてしまい、気が付いてみると、夫婦の会話が、「めし」・「風呂」・「寝る」、だけになっている。これではいけないと会話促進剤のつもりで飼うことにしたのである。
 自宅に戻り、バスケットの中から、手のひらに載るような子猫を出し、銀シャリにたっぷりと鰹節を混ぜ、「そーら食え」と差し出すと黙々と食べた。ところが、後が大変な事態になった。ひどい下痢である。何か悪いものが混ざっていたと思い、ペット病院に直行した。獣医さん曰く、「このての猫はペットフード以外はだめですよ」の一言で一件落着である。
 その夜、酒を飲みながら名前を考えた。私にとって、この子猫は芸者と同じである。よし、桃太郎にしよう。その時は、20年近くも付き合う羽目になるとは考えもしなかった。
 芸者なら、作法と芸が必要である。猫に作法はちょっと難しい。そこで、首輪に紐を付けた時はじっとそこを動かないような訓練をした。これは、すぐに覚えた。つまり、紐の一方を椅子の足に縛っておくのである。2・3回やると体験学習の成果が出て、短い紐でも首輪に付けると、その場でじっとしているようになった。猫の苦手な来客があったときは大変有り難いのである。
 次は芸である。これには、いささか時間と忍耐が必要である。しかし成し遂げた。
 一つは、妻が私に夕食を知らせる時に、「桃、お父さんにご飯だよ。と言っておいで!」と声を掛けると、先ず猫ちゃんの爪とぎでゴシゴシしてから私のところにやってきて首を振るしぐさをする。もう一つは一緒に風呂に入る。入るといっても、湯船につかるわけではない。湯船の縁についている水滴を全部舐めて歩くのである。
 この二つの芸は、私達夫婦を大いに和ませてくれた。いつまでも大きくならない子どもがいるようなものである。
 そんな桃太郎も、去年の初夏あたりから、ちょっと様子が変になってきた。「もう歳だからな」と、妻と話し合うことが多くなった。
 平成13年9月15日午後2時10分、桃太郎は妻に抱かれながら私達夫婦に幸せを与え続けてくれた20年近い生涯を安らかに終えた。
 それから一年、今でも桃太郎の遺骨は、私たちの居間と二階の寝室を毎日上下している。